teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

加害者の呼称について

anond.hatelabo.jp
呼称について問題定義があった。
俺はこれからも低能先生と呼ぶと思うのでその考えを書いておく。

まず本名で呼びたくない

今回の話題であまり本名を印象づけたくない。
彼が将来出所したときの社会復帰の妨げになるだろう。
ネットに本名のログを自分一人分程度は多く残したくないという意味もある。
酒鬼薔薇聖斗は、酒鬼薔薇聖斗として論じたい。

とはいえ普通の大人は低能先生なんて言葉使えないだろうから、他人に望むものではない。

 1.上記の解説のとおり揶揄する意図はないので「低能先生」という呼称は許される(=蔑称ではない。蔑称と受け取る人がいるとすればそれは本意が伝わっていないだけ)
2.蔑称かもしれないが、先に「低能」と罵倒してきたのは向こうだから許される
3.蔑称かもしれないが、相手は容疑者(あるいは犯罪者)だから許される
4.他に呼びようがないから、あるいは使い勝手がいいから使っている
5.みんなが使っているから使っている
6.堂々と恥じることなく蔑称として使っている

これらの問いのどれかに「YES」と答えるとしたら、その心の有り様は「いじめ」と通底してはいないだろうか。あるいはもっと端的に「いじめ」ではないだろうか。

 
俺は1の「蔑称ではない。蔑称と受け取る人がいるとすればそれは本意が伝わっていないだけ」と4の「他に呼びようがない」にYESを付ける。

元記事のトラックバックにもあるけど、低能先生が低能先生と呼ばれることを気にせず増田で対話が成立している。いろんなまとめをみてそういうログも確かに見た。低能先生自体が罵倒しあうのを肯定するような発言もあった。なので低能先生がそれでストレスを受けるかどうかが大事かと思っている。

anond.hatelabo.jpというか、本人公認らしい。



「低能先生の呼称で第3者が蔑称と受け取る場合」は、それは俺がどう人の目からみられるかどうかの話であっていじめとは関係ない。あくまで呼称する人と本人の関係性でマイナスの影響があるかどうかを考えてる。

もちろん低能先生を許せなかったり、IDコールで脅された人はすでに関係性が大きなマイナスでありそんなことすら気にする必要はないと思っている。

あとはブコメにある蛇足だけど、「先生」という呼び名が蔑称かどうかは単純に相手との距離の問題かと。どこかのブコメであったのだけど「先生」という呼び方には一線距離を置きたいという意味合いが込められている。

なので教師でも医者でも漫画家でも教える人でもない人に「先生」というのは、その距離以上は近づきません、という意味で正しいかと思う。それは一定の危険性をもった低能先生によく当てはまる。逆に一定の尊敬をもって常に自分より上に置いておきたいその距離を保ちたい意味でも先生。なので先生という呼称そのものに良し悪しがあるわけではなく、距離と関係性において失礼か敬意かに変わる。

ちなみにイケハヤという呼び方も、彼の炎上にはまったく関わってないが俺からしたらネット上の超有名人という扱いでしか無い。まったく遠い世界のキムタクと同じ距離感で使っている。俺が芸能界関係者になったら会ったことなくても木村さんと呼ぶだろうし、イケハヤ氏と一度でも会話したり言及することがあれば、イケダさんと呼ぶかもしれない。

「さん」付けもそれなりに近づいたり、尊敬したりといった距離感を表す呼称であって、俺が友人と食事しているとき「SMAPあんなことになってキムタクさん大変そうだね」とか言おうものなら「えっ、なにキムタク好きなの? 関係者?」とか妙な勘違いをされる。「呼び捨て」すら距離と関係性で失礼か敬意かに変わる。

呼称によって距離感が近いか遠いかが分かれるが、遠くて友達になれない呼び方が失礼になるとか、近くて馴れ馴れしい呼び方が失礼になるとかは、それがプラスの関係性か、マイナスの関係性かという違いであって呼称そのものでは測れない。いじめっ子の「バカ」と恋人の「バカ」は同じ蔑称でもその関係性で全く意味が変わるので、生涯「バカ」とは絶対言わないと呼称そのものにこだわるよりその2人の「関係性」を見るという考えである。

と、今少し考えただけなので、他で議論深まって今後考えが変わったらまたブログに書こうと思う。

追記。ブコメから。

一般的に失礼とされる呼称をネット上で堂々と使用する事が「拡散」し「こいついじめてもいいんだ」と勘違いする輩が出てきたとき、その呼称を使った事を後悔しても遅いのだ…

ここで書いてない視点のコメントありがとう。

俺の考えだと「蔑称」から「こいついじめていいんだ」は発生しない。
「こいつムカつくからいじめたい」という人達が「蔑称」を使う。
うまく例えてるかわからんが、蔑称はわさびみたいなもんで、ただわさびを相手に塗ってもなんにもならないが、傷口見つけてわさび塗ったらしみる。

特にネットはアナルなんとかやら、くそニートなんとかやら、自虐で蔑称使うアカウントが無数にあって、ネトゲやソシャゲも同じ状況。俺は低能先生を最初から蔑称に見えなかったのは最初はそういったアカウント名を見る感覚だったから。

例えばアカウント取ったばかり、ネットはじめたばかりのイケハヤ氏に「高知のトマトの人」と俺が蔑称のつもりでただ言い続けてもイケハヤ氏にダメージはほぼなく、誰にも伝わらない。情報弱者を食い物にしてこういう理由でこいつは悪いやつだと「こいつムカつくからいじめたい」という意味付けから空気を作ってやっと「高知のトマトの人」という蔑称が効いてくるようになる。

結局蔑称は「こいつはムカつくから、こいつ悪いやつだから批判したい」という思いが先にこないと成立しないと考えてる。実際に今マスコミや第3者含めて蔑称として低能先生を使ってる人はいない。ただ低能先生を嫌ってる人、許せるわけない人は蔑称として使うと元記事コメントでもハッキリ宣言されてる。

これほどの事件さえ(だからこそ?)「低能先生と呼ばれてるから虐めていいやつなんだ」と勘違いする人はいない。いじめは先に「そいつがどれだけ(自分から見て)悪いやつか?」という思いがあってこそで蔑称が先ではなく、そもそも悪いやつを裁きたい人に蔑称を使うなというのも通じない。それが今の考え。


で、ここから別の話だけど今もうIDコールは萎縮して使いづらい。
はてぶコメの意見を考察するとき、はてぶの人達は返事を呼びかけてほしいのかそうじゃないのかがわからない。

はてぶの構造上ただ感情のはけ口として言いっぱなしにしたい人もいて、それを言い返されたくない人もいる。わざわざここに戻って議論しつづける時間や労力が惜しくそこまでするつもりはない人がほとんどと思っていて、あんな事件のあとだしなるべくIDコールは控えようと思ってる。