全体最適化とは「●●に対しての部分最適化」である

d.hatena.ne.jp

  人が死ぬレベルで暑いけどオリンピックはどうするの、という話で「打ち水をする」「マラソンを早目の時間にやる」といった案はせいぜい部分最適でしかなく(それすら怪しく)、全体最適なら「10月に開催する」(あるいは開催しない……)でしかない。

 女性の医者は結婚や出産を機に退職してしまう、という話で「男性の医者を増やすために医大の入試で女性だけ点数を下げる」は医大側の狭い損得から導かれる解でしかなく、全体最適なら「医者や女性の(性差別に基づく)労働環境・構造を改善させる」でしかない。

昨日、高野連の事務局長がインタビューで「こんなに暑いけど甲子園どうするの?」という話に「ベンチの冷房を強くする」「観客席もなんとかしたい」「でもこの時期以外の開催は無理」「甲子園からドームにするとかは調整だってあるし難しい、球児も『聖地』でやりたいだろうし」といった回答をしていた。

 そこをイニシアティブ取って全体最適の解に向かって進めるのがあなた方の立場でしょうよ、という気持ちにはなる。

 
この全体最適化の捉え方はおかしいとはてブでつっこまれてるのでちょっと解説したい。

俺のブログでもよく言う「全体最適化」というのは暗黙の前提があってそれは、
「会社として利益を出す」ための全体最適化である。


「社員や従業員のためだけ」の全体最適化はまた違う。それで会社の利益が無くなっては社員や従業員を雇うことができない。もちろんただ社員をサービス残業で酷使するだけの利益なんてたいしたことないから、労働時間は短縮したいし、給与も上げたいためのバランスは取り、そのためのアイディアも考えるが、大前提として「利益」という部分のための全体最適化であり、願わくば関わる全員、悪いやつも含めて幸せになる全体最適化として仮説を立てている。

オリンピックを10月に開催する?

なのでこれも全体最適化ではなく部分最適化。
ネットで話題になってたので気になってちょっと調べてみた。

teruyastar.hatenablog.com
すると、全体で兆を超えるスポンサー料が動いてるのがわかる。
特にアメリカのアメフトやバスケリーグが秋にやる都合で、スポンサーからIOC通じて夏に開催が決まっている。

でもスポンサー料は9割、競技団体や施設に還元してるわけで、このおかげで参加できる競技団体や、競技国も数知れず、ロスオリンピック以前の貧乏オリンピックより遥かに整った体制で選手たちはオリンピックができる。

10月開催というのは、このスポンサー料還元が大幅に減るということであり、当然それなりの環境で小さめのオリンピックになる。果たしてそれは選手や競技団体が望むことだろうか。

この場合全体最適化というなら、アメフトやバスケや、アメリカ意外のスポンサー事情にも詳しい人が、どうやったらお互いの視聴率食い合わないように調整できるかとか、東京じゃなく、財政厳しい北海道でやって人を流せみたいな案になるのではないかと思う。それはそれでいろいろ調べないといけないが。

高校野球の全体最適化とは?

これも前に話題になったとき少し調べてみた。

teruyastar.hatenablog.com
すると、高野連はほぼボランティアで、放映権料も無料、甲子園使用料も無料、「高校球児をビジネスの食い物にしてはいけない」という精神で全くビジネス化されてないことに、「ドーム球場」やら「複数球場開催」「冬開催」ができない理由があった。

オリンピックと同じ「熱中症」絡みで調べたのに、オリンピックは「ビジネス的理由」で問題が難しく、高校野球は「ビジネス化してない」ことで問題解決が難しいというあべこべな結果に。

www.tokyo-sports.co.jp
また、「今どきの高校生はもう甲子園とかこだわらないだろう」と俺は勘違いしてたが、このアンケートでは50人中、47人が「甲子園」にこだわっていた。

いろいろ調べた結果、熱中症なんて暑さ対策や練習ををして甲子園ベンチにエアコンも水もある球児の問題よりも、観客席側のほうが問題になる。熱中症気味でも、試合が盛り上がってる時に席離れるわけないからね。

これも全体最適化としては、北海道でやるなり、ビジネス化してナイター標準の方が視聴率もとれるし、仕事中に見ずに帰ってビール飲みながらゆっくり見れるのにとは思うが、当の球児が納得しない限り全体最適化とは言えないだろう。

「医者や女性の労働環境・構造を改善させる」

医大の入試点数は全く別問題として、これはあくまで医者の働きやすさとしての最適化。医療の全体最適化につながるとは限らない。

togetter.com

anond.hatelabo.jp

anond.hatelabo.jp
このへんで語られてるように、医師の働き方の都合で主治医が分断されたとき、上手く回ってる時はいいが、医療は必ずどこかで患者の限界を迎え、ミスも完全にはなくならないのに、欧米のように仕事を切り上げていいのか? を考える必要がある。

弱い患者を切り捨て、老人の治療などは富裕層のみというのが医者としては合理的だろう。欧米はそっちよりだ。アメリカは皆保険すらない。ある意味日本の長寿も医者達の無茶な負担で成り立ってるところはある。

こうなると、医療の現場に入って何を守って、何を切り捨てていくか、そのときの利権構造をどう説得していくかまで調べて考えていかねばならない。誰にでもわかる目に見える問題だけを解決するのは場当たり的な部分最適化にしかならない。

誰だって真っ先に思いつく全体最適の解が踏みにじられながら、対症療法が「必要悪」「妙案」として本当に実行される姿を見せられると、たとえそれが自身の利害に直結する話でなかったとしても精神が疲弊する。誰だって自分たちが生きている世界で「まとも」がきちんと機能するところを見たい。部分最適によってひずみやしわ寄せが発生して苦しむ人がいる、そんな不条理な話がまかり通るのを見るのはしんどい。

誰だって真っ先に思いつく、武器を捨てて金持ちの格差をなくし、世界が平和で貧困もなくすという解が踏みにじられながら、対処療法として世界の不条理がまかり通るのは俺もしんどい。

とはいえ、2つも3つもの問題を同時に解決するアイディアが出てこない以上は、部分最適化を繰り返すしか無く、そういう同時解決のアイディアを出すにもよくよく相手の事を詳しく調べる必要があると思う。

もう週に一日、テレビもネットもネコチャンの映像を流し続けるだけの日とか作らないとみんな精神がもたない。


俺も「きっと大人や権力者の都合でこうなってるに違いない」と拙速に結論出してたときは同じように精神もたなかったんだよね。そう世の中見ていたときは「自分が知らないことは全部権力者の悪」ばっかりになってたから。

だから「言動が悪いからあいつは全部悪い」とか、「被害者が居るから、悪い加害者がいる」という思考は一旦捨てて、「悪いやつも全部は悪くない可能性」や「ほんとに加害者が居るのか、周りの環境はどうなっているのか」という情報が全部わからない限り、とりあえず保留にしておくようになった。

といっても上のように全ての事を調べる時間や労力があるわけでもないので、基本的に当事者に任せて個別判断。自分の少ない情報での予断なんてだいたい氷山の一角でホントの事はわからないのだから、世の中悪いやつばっかりなんて思わず、保留して軽く考えたほうがいいと思う。

別にそのまま予断でブログに書くのが悪いとも思わないし、それは意見表明や考えを整理するのにも役立つし、反論から新たな情報も入るから、書き出すのはむしろ精神上いいことだと思う。ただそれはあくまで予断の一つ。世の中を正義感で悪く受け止めすぎないよう、いろんな視点で防壁をもったほうが楽になるかなという話。